文字(漢字読み)
6 題語彙
19 題文法
10 題文の組み立て
5 題文章の文法
4 題以下は、教育学者が書いた文章である。
学校には、言語、数学、音楽、運動といった分野や、記憶力、創造性などに関する突出した才能を持つ子どもたちがいる。その中には、学校の授業のレベルが合わず苦痛だったり、別の教科では学習困難を抱えていたりと、つらい思いを抱える子どもも多い。
こうした現状 41 、文部科学省は支援について有識者会議を設けた。7月に発表された審議まとめには、理解のための周知や研修の促進、多様な学習の場の充実などの提言が盛り込まれた。
2点、私見を 42 。
まず、今回の提言は、英才教育を目的とするものではなく、すべての子どもの学習権を保障するという文脈で理解されるべきものである。教育基本法には「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならない」とある。「特異な才能」を持った子どもたちが、どうしても横並び主義に 43 学校の中でその機会を十分に得られていないのだとすれば、それを保障することは国の使命なのである。
次に、今回の提言は、教育システム全体を長い目で変えていくための一つのステップとして捉えられる必要がある。「特異な才能」を持った子どもに限らず、授業についていけない子どもや不登校等を生み出してしまっている一つの大きな要因も、何でも「みんなで一緒」を過度に求める学校システムに 44 。
皆で同じことを、同じペースで、ではなく、仲間や先生との協働に支えられながら、子どもたちが自分のペースで、自分にあったやり方で学びを進められること。それを通じて、すべての子どもの学習権を保障すること。そのようなシステムの転換をこそ、私たちは実現させていく必要があるのだ。
問題8 内容理解(短文)
4 題我々はビジネスの中に主観や直観を持ち込むことを良しとしません。ただ、全く状況が分からない中で延々と情報収集をしていては今のビジネスのスピードに対応できません。そこで頼りになるのが、直観であり、主観です。ただし、これだけではダメです。直観的に判断したら、必ず論理的な検証をして妥当性を確認してみる必要があります。あるいは主観的に判断したら、必ず、さまざまな人の意見を聞いて、客観性を持たせる必要があります。
(注)直観: ここでは、直感と同じ
赤ちゃんは周囲の人を自分にひきつけるための反応を生得的に備えて生まれてくる。ひよこの緊急時に発するピーという高い発声に対して、親鳥は敏感に反応する。人間でも赤ちゃんの独特の泣き声は、親を動かす。また大人からみて微笑と見える赤ちゃんの顔面筋肉の反応は、周りの大人にかわいいと思わせるためのものであると考えられている。これらの事実から、表情などの動きは本来心とは関係なく、環境に適応するための反応であり、心(感情) に先立つ動きであると考えてもよいであろう。
(注)生得的に :生まれつき
集団や仲間に依存したり迎合したりせず、ひとりになり、自分の心の声を聴いて、自分の生き方を見つけていく。孤独力とは、そういう能力です。
そして、この孤独力の逆説的なところは、その基礎が自分の今のままの姿を受けとめてくれるような他者との関係の中でこそ養われていくところにあります。自分を今のまま、そのままで認めてくれる他者との関係の中で、はじめて人は自分の心の声に本当に素直になれる。自分の心の声を聴いて、孤独力を育んでいくのです。
(注)迎合する :自分の考えを他人に合わせる
小説をほめるときに、「情景がありありと浮かぶ」と言い方がされることがある。逆に「情景が思い浮かばない」というのが、けなし言葉として使われることもある。しかし、小説が、文字を読んで映像を思い浮かべながら読むものだとしたら、最初から映像のほうがずっといい。変換しなければならないだけ、小説は面倒ということになる。小説離れの理由のひとつは、「映像を
思い浮かべながら読むものだ」という思い込みにあるようにも思う。
問題9 内容理解(中文)
8 題調理家電は確かに料理の手助けになります。時間の短縮、そして複雑な手順の段取り。つまり面倒で複雑な過程を器械が肩代わりしてくれます。確かに便利な道具です。少なくとも、そのことを意図して開発された器械のはずです。わたしも、日常的にその手助けの恩恵に浴しています。でも、よく考えてみると、調理家電の前でわたしたちがやることはいくつかのボタンを押すだけです。調理家電の前ではじつは人間が器械の働きの手助けをしているだけではないのか。器械があらかじめ決めたプログラムに従って、プログラム上の分岐点で、どちら (あるいはどれ)を選択するという補助的な行為が求められているのではないのか。ふと、そのように感じたのです。彼らは人間の労働を助けてくれているのではなくて、手抜きを助長しただけではないのかとも思えてきます。もっとはっきりといえば、わたしたちは家電製品のお手伝いをしている存在に成り下がっているかに思われるのです。
今、人工知能(AI) が人間の仕事を奪うのではないか、もしそうだとして、まっ先に奪 われる仕事は何かなど、人工知能を巡る議論があちこちで沸騰しています。人工知能がもっと普及してくれば人間は労働から解放されるのではないか——そんな議論もあります。しかし、調理家電の動きを見ていると、料理に関する限りでは人工知能は人間にはボタンを押すという手助けだけを残して、創造的で楽しい部分は人工知能がもってゆくのではないかと懸念し
ます。いや、もうそうなりかけている気がするのです。
(注1)調理家電:ここでは、高機能の調理用家電製品
(注2)~浴する:~を受ける
(注4)成り下がる: ここでは、なってしまう
(注5)人工知能(AI): ここでは、人間のように思考ができる器械
以下は、脳科学者が星座占いについて書いたエッセイである。
『ぴあ』の占いのコーナーを喜んで読んでいた頃、ぼくはもちろん因果性を理解していたし、経験科学の原理もわかっていた。それでも「占い」を読んで喜んでいるぼくがいたということは、人間が、いかに自分の中に整合性にこだわらない、いかに加減な存在であるかを示している。
同時に、経験からして、「占い」は、それがあるメカニズムに基づいているかどうか、「当たる」か「当たらない」かということが本質ではないのだと思う。それは、いわば、脳の認識の回路に働きかける、「プラシーボ」のようなものなのだろう。
これは薬だと言って、砂糖のかたまりをあげると効く。この「プラシーボ効果」は、脳活動計
測によって、脳の自己治療能力が引き出されるものとわかっている。むろん、限界もある。しかし、限界の範囲内では効くのだ。占いの効用も、つまりはそのようなものだろう。
ブラシーボ効果において、重要なのは文脈である。星座占いは、実はどの星座を読んでも同程度に「当たる」。しかし、自分の星座の項目が、まさに自分宛てに書かれたものであると信じることによって、何らかの作用が生の現場にもたらされるのだ。
たとえば、「今週は素敵な出会いがあります」と言われて、その気になれば、仕事や遊びで会う人、街で通りすがりの人に対する心の開かれた方が変わってくるかもしれない。もともと何の根拠もないものを、信じることで効果が生まれる。
(注1) 『ぴあ』:娯楽雑誌の名前
(注2)因果性:二つの出来事の間に原因と結果の関係があること
(注3)経験科学:経験したに基づく科学
(注4)整合性:論理的矛盾がないこと
(注5)通りすがりの : ここでは、すれ違う
以下は、ゲームについて書かれた文章である。
他者との競争に勝ったり、自分で立てた目標を達成することは非常に嬉しいことである。しかし、日常生活でそれを経験する機会は、私たちを満足させることは多くない。もっとたくさん勝ちたい私たちのために、ゲームは「先にここに勝ち進めた人が勝ちです」「白い線を踏まずに横断歩道を渡れたら勝ちだ」といった定義を持ち込んで、明瞭に勝つ機会を提供してくれるのである。ただし、勝ち負けがつけば必ずゲームが成立するわけではなく、絶対に勝てるゲームや勝ち目のまったくないゲームはプレイされない。勝った先の利益がない純粋なゲームでは、勝つこと自体に価値が必要であり、初めから勝敗が確定しているゲームにはそれが足りないのである。
この「勝ちに価値づけをする」手段がルールの設定である。様々な縛りによって、勝つためにとれる手段を限定し、同時に勝つまでの道筋を複雑にする。それによって「そのままでは低い勝ち目を、そのゲームに応じた自分の適切な行動で高めることができる」状況が生まれ、その中で自身の能力と努力、相手との駆け引き、運の良さなどを駆使して得た勝ちを嬉しいと感じる。そして勝敗とは別に、勝ち目を増やす過程すなわちゲームプレイも面白いと感じるのである。
(注)勝ち目:勝つ可能性
「なぜそうなるんだ」、「どうしてこんなことになってしまうのか」。そんなふうな「どうしようもなさ」を抱えた自分のもとに、それらのため息や憤りに寄り添い、慰めを与えてくれる心地よい言葉が投げかけられる。そんなとき、つい、「ちょっと待て、これはうわべだけの解決を教える言葉にすぎないのではないか。わたしは、立ち止まって考え続けるべきのではないか」、そう自分に告げる良心の呼び声を封印し、ため息や怒りをかかったことにしてくれる便利な正解に飛び乗ることを選択してしまう。自分たちのなかに潜むそんな傾向に抗い、逆らうことの難しさを否定することのできる人間はいないのではないだろうか。
(中略)
わたしたちの生活を取り巻く数々の「わかりやすい言葉」たちとその魅力に抵抗し、正解を知りたがる人びとのただなかで「わからない。何かが違っているんじゃないか」とつぶやいてみる。それが、哲学の目をもつ人間に特有の態度であるとすれば、お手軽な答えに飛びついてよしとするのではなく、あえて問いの下にとどまることを教える哲学の習性には、それ自体として一つの積極的な機能を見出すことができるのではないだろうか。すなわち、みなが問いを放棄し、問題を終わらせよう、片づいたことにしてしまうとする大きな流れのなかで、「ここには問題があります」とあえて提案してみせることに哲学の仕事の一つが見出されるのならば、そこには、「みずから積極的に問いの場を構築する」という意味において、一つの積極的な働きを見出すことが可能なのではないか。
(注1)封印する:ここでは、抑える
(注2)抗う:抵抗する
(注3) ただなかで:まっただなかで
問題10 内容理解(長文)
3 題子どもの言いなりになってしまう親は、 1 子どもの要求を何でも聞いてあげることが、子どもの意見を尊重することだと思っているところがあります。子どもが習い事をしたいと言ったら何でも言わせる、子どもが行きたいというならどこでも連れて行ってあげる、といったように。
確かに、習い事などは子どもが自分から何かをやりたいと言っているのですから、子どもの意見を尊重しているという面もあります。子どもの行きたいところに行くのも、子どもの好奇心を満たしてあげたい、いろいろなところに行っているいろいろな体験をしてほしいという親心があります。そして実際にプラス面も多々あります。
ただ、その子どもの「要求」と「意見」は違います。小学生くらいのお子さんの場合は、あまりよく考えないでなんとなく「やってみたい」「習いたい」「ここに行きたい」「これ欲しい」と言うことはよくあります。これは脳が発達段階にあるため、仕方がないことなのです。問題は、子どもの要求に対して親がどう対応するかです。子どもの要求をなんでも聞いてあげるのは、意見の尊重ではなく単なる甘やかしです。
子どもを甘やかしてしまう親は、子どもが可愛さのあまりつい子どもの言いなりになったり、忙しさを理由にして子どもにかける手間を省くために甘やかしてしまうという場合が多いのです。
どちらにしても、一時的な甘やかしではないため、その甘やかしはエスカレートしていることになりかねず、将来的には親子双方にとって禍根を残すことになります。親にも限度があります
から、子どもの要求にすべて応えることはできません。すると、あるところで 2 破綻します。
子どもの脳には、「私が言ったことを親は全部聞いてくれる」という回路が形成されてしまっています。そうなった段階で自分の要求が叶わないとすると、子どもは「もう私(僕) のことが可愛くないの?」「私(僕) のことが嫌いになったの?」と親を責めます。親は親で「望むことは何でも叶えてあげたのに、どうしてこんなことになったんだろう」と嘆く。
どうしてこんなことになったのかといえば、親子での「対話」による「交渉」や「妥協」が何もなかったからです。
そうならないためには、子どもとよく「対話」をして、その「要求」に対して「意見」をブラスするように親が導いてあげることが必要です。「ooを習いたい」という要求に対して、「どうしてそれを習いたいのか」「そうすることで何が起きるのか」ということを子どもとよく話し合った上で、子ども自身が自分の意見を修正できるようになればベストです。
(中略)
子どもの要求に対しては、ただやみくもにダメと言うのでなく、かといって要求をすべて吞むのでもなく、子どもとの「対話」を通じてお互いにとっての「妥協点」を探るための愛情のこもった「交渉」の場にすることが、子どもの知的発達にとってプラスになるのではないかと思います。
(注1)禍根: ここでは、災いの種
(注2) やみくも:むやみに
(注3)吞む: ここでは、受け入れる
問題11 統合理解
2 題A やりたい仕事のために必死に努力している時に、行き詰りを感じることがある。そういう時にまずべきことは、なぜそのような状態になっているのかを考えることだ。必要な知識やスキルが足りていないのかもしれないし、これまでの努力のしかたが間違っていたのかもしれない。原因を把握し、自分にできることはすべてやってみる。もちろん、最善を尽くしたとしても成功できない可能性もある。しかし、努力を通して身につけたことこそが自分の強みになるのだ。その努力は、いつか別の道に進むことになっても生きてくるだろう。 行き詰りを感じた時は、深く別の分野に向かう方向転換すればいいという考えもあるが、そう簡単に努力するのをやめてしまったらよい結果には結びつかない。まずは一つの分野で努力し続けることが重要だ。
17 B 人は必死になって努力をしていると、どうしても一つのことしか目に入らなくなりがちです。それはそれで間違っていませんし、努力とはそういうものだと思います。 しかし、どうしてもそれが実ならなかったり、行き詰ってこれから先何をしていいのかわからなくなったりした時、一度頭を柔軟にして別の分野へ方向転換してみるのも一つの方法です。(中略) もちろん、方向転換して成功するためには、その別の分野に手を出す以前にどれだけ努力していたかが大切です。そこでつくった蓄積がなければ、別の分野へ移ったところでそれが武器になることはありません。単純にまた一からやり直しになるだけで、余計時間がかかり、混迷していくことになるでしょう。でももし本当に努力してその分野のことをしっかりと身につけていれば、別の分野への挑戦を果たした時、それがとても大きな武器となることがあるのです。
問題12 主張理解(長文)
3 題18
選びなさい。
以下は、広告などのデザインをしている人が書いた文章である。
女性であれ男性であれ、人は自然体でいる時には自分についてなどおよそ意識していないにもかかわらず、自我のスイッチが入ると、たちまち自分を意識化して、感覚的にも理論的にも自己肯定しようとします。人に自意識がある以上いたしかたないのかもしれませんが、仕事で自我が芽を出したなど気づいた時に、できるだけ早くその芽を刈り取るべきです。(中略)
自我が出すぎていないかどうか自覚するためには、折あるごとに自分を疑ってみなければなりません。何かよい案を思いついても、その直後に、これは第三者にもちゃんと伝わるのだろうか、と自分を疑ってみる。自画自賛に陷っていないだろうか、と。なぜなら、どんな仕事でも本来、こちらの自我をあちらの他者に押し付ける所行ではなく、多くの人々と共鳴するところを冷静に感じ極める作業だからです。もちろん対象によってその程度は異なるし、自分の想いの丈をぶつけていい場合もあります。
例えば自己資金で限定十個の作品を販売するのなら、自我を抑える必要などないでしょう。自分の想いを存分にぶつけた作品に共鳴してくれる人が、この広い世の中に十人くらいなら存在するはずだからです。たとえまったく売れなくても、その責任は自分でとればいい。あるいはその人の作家性を期待されて仕事の依頼を受けたのなら、思いっきり自分がやりたいだけやればいい。ただし、予算や制作期間の問題などで関係者に迷惑を掛けることは、むろん許されませんが。
では、道路標識のデザインはどうか。この仕事を任されたデザイナーの自我はどのくらい必要でしょうか。公共のサインである道路標識は、言葉も価値観も視力も、文化的背景すらも異なる人たちがほんの一瞬見て判断するグラフィックデザインであり、場合によっては命にかかわるものなので、できる限りの普遍性が求められます。つまり、道路標識をデザインする人の「自我」は、どこからも求められてはいないのです。同様のことは、老若男女誰にでも使用される可能性がある嗜好品などについても言えるし、使用する素材の資源の問題やコスト、使用済みになった後の処理にまで考えを及ぼすとすれば、自分勝手が許される余地などどこにもないのではないでしょうか。
このように、対象によってなすべき内容が異なるのだから、与えられた仕事がどんな環境にあるかを客観的に把握しなければ。それでも、無意識にも自我はあとすぐに記したように、自分を意識していなくても自我は出てきてしまうものなので、自分のしていることを客観的に見るのはたやすくありませんが、常に相手や周囲の環境を優先し、それらを客観的に理解する習慣がつくと、厄介な「自我」の呪縛から解放され、楽になり、なすべきことが浮かび上がってくる。それは対象から自ずと表れ出てきたもので、主体は自分ではなく、飽くまで相手なのです。
(注1) いたしかたない: しかたない
(注2)折ある:機会がある
(注3)所行:行為
(注4)想いの丈:ここでは、想いのすべて
(注5)呪縛:縛り
問題13 情報検索
2 題野木市あおぞらフリーマーケット
出店者募集
フリーマーケットで、手作りの作品や不要になった日用品などを売ってみませんか。
〈開催要頷〉
マーケットの種類 1 手作りマーケット 2 リサイクルマーケット
日時 10月24日 (土)·25日 (日) 10時~16時
会場 春島公園 ひがし大通り
販売できる物 手作りの作品 (飲食物は不可)家庭で不要になった日用品、本、衣類など
募集 20組 30組
スペース. 1.5m×1.5m 2m×2m
出店料 (1日のみ) 1,000円
出店料 (2日間) 同じマーケットに出店する場合は1,600円
異なるマーケットに出店する場合は2,000円
※学生応援割引:野木市在住または在学の学生で 1 に出店する方には、割引があります。 1 への出店が1日のみの場合は300円、2日の場合は500円割引します。
<出店資格>18歳以上の方
<応募方法>
· 「出店申込書」(ホームページからダウンロード、または野木市役所で入手可)に記入し、8月 31 日 (月) 必着で郵送またはご持参ください。
<出店場所抽選会および出店料の支払い>9月 12日 (土)13時〜市役所ホール
·各会場内の出店場所の抽選を行います。その際に出店料もお支払いいただきます。
·参加できない場合は、実行委員が代理で抽選を行います。出店当日案内所で9時半までに出店場所をご確認のうえ、出店料をお支払いください。
<出店当日>
· 1 の会場は朝8時、 2 の会場は8時半から入ることができます。遅くとも9時45分までには入場してください。10時に販売開始となります。
<その他>
·机、シートなどはご持参ください。
· 雨天で中止する場合は、前日17時までにホームページにお知らせを掲載します。
応募·問い合わせ先あおぞらフリーマーケット実行委員会事務局
〒556-7232 野木市中川町1-2 野木市役所内 電話: 038-930-0122
ホームページ: https:// www.nogi.city.lg.jp/ aozora/