文字(漢字読み)
6 題語彙
19 題文法
10 題文の組み立て
5 題文章の文法
4 題ネコの目の前に指先を出すと、必ずクンクンにおいをかぎますね。じつは、これはネコ同士のあいさつに由来するしぐさです。
私たち人間はおじぎをしたり握手をしてあいさつをしますが、ネコたちにとっては、鼻と鼻を近づけてお互いのにおいをかぐのがあいさつです。ネコの口のまわりには臭腺といって、特別なにおいを出す器官があります。そのにおいはネコによって異なるため、鼻を近づけると相手がどこの誰か、そして敵か味方かなどの情報を知ることができるのです。
このようにネコがにおいで相手を確認するのは、目があまり41。ネコは肉食のハンターですから抜群の視力をもっていそうですが、人間にたとえると0.3程度の近眼だとされています。つまり、かなり近づかないと相手の顔を確認できないということ。
だから、人間の指先を見ても、ネコは鼻を近づけられたと勘違いして同じ反応を42。指先だとわかっていても、習慣的に「とりあえず、あいさつだけはしておこう」と考えるのでしょう。おきまりのクンクンが始まります。
この習性を43、初対面のネコとも仲よくできます。いくら可愛いネコでも、いきなりなでたり抱っこしようとすれば嫌がります。それは、あなたが何者かわからないからです。44、まずは指先をネコの鼻に近づけてみます。ひととおり指のにおいをかいだ後でネコが逃げなければ、それはあなたに好意をもったという証拠ですから、そっと触れても嫌がらないはずです。
問題8 内容理解(短文)
4 題自動車メーカーが、製造・販売した自動車に不具合が見つかったとして、無償で修理をするリコールを行うことはよくあります。
リスクゼロ思考からすると、そもそも不具合のある車を世に出すべきではないということになります。事前に不具合が出ることがわかっているなら、そんな車はつくらないはずです。不具合が絶対に出ない車しかつくってはいけないというのなら、メーカーは何もつくれなくなります。
それよりも、不具合が出たらリコールして、次につくる車からは同じ不具合が出ないように改善していくのが論理的な発想です。
以下は、母語の音声の習得について日本語を例として書かれた文章である。
「赤ちゃんのときはどんな音でも区別できるのに、成長するとできなくなる」といわれるのは、決して聞き分け能力の劣化ではなく、日本語の音体系に対応して「区別しないものを見いだし、同じと見なすことを学ぶ」という変化なのだ。こと音の知覚に関しては「習得は喪失だ」といわれるゆえんである。諸々の外国語で、日本語では区別しない音の聞き分けに苦労した経験があるならば、それは自分が日本語習得にいかに完璧に成功したかを示しているのだ、と思ってよい。
(注1)こと:ここでは、特に
(注2)ゆえん:理由
(注3)諸々の:多くの
ワサビは生育環境を選ぶ植物であるため、系統維持が非常に難しく、栽培者がいなくなれば、維持されてきたワサビも一緒に消失してしまう。山に行けば野生が自生しているから大丈夫、という考えは間違いである。野生個体は栽培ほど根茎も太らず、辛くない。長い時間をかけてできた品種は、一度失われてしまったら、容易には復元できないのだ。だからこそ、植物資源として大切に守る必要があるといえる。
(注)系統維持:ここでは、種の特徴が受け継がれていくこと
知性は個人の属性ではなく、集団的にしか発動しない。だから、ある個人が知性的であるかどうかは、その人の個人が私的に所有する知識量や知能指数や演算能力によっては考量できない。そうではなくて、その人がいることによって、その人の発言やふるまいによって、彼の属する集団全体の知的パフォーマンスが、彼がいない場合よりも高まった場合に、事後的にその人は「知性的」な人物だったと判定される。
(注1)属性:性質
(注2)考量する:判断する
問題9 内容理解(中文)
8 題火を使って調理をするようになってから、人類はそれ以前よりも多くの種類の食べ物を食べられるようになり、しかもそれを効率よく消化して多くのエネルギーを得ることができるようになった。そして、余ったエネルギーを使って脳を発達させて、優れた知的能力を獲得することになるのである。人類の歯、顎、胃、小腸、大腸などはチンパンジーなどに比べればはるかに小さいが、それは火を使って調理した柔らかい食物に適応して進化した結果であると考えてよい。
大きな消化器官を使って長時間の消化、吸収活動を行うことは多くのエネルギーを消費するから、消化器官が小さいものが生物学的に有利である。
(中略)
火で調理することには、人類の脳を発達させただけではなく、人類の社会性を発達させる効果もあった。火を使って調理することが人類の偉大な発明の一つとされているのは、食べ物を変質させただけではなく、社会をも変容させたからである。火を使って生の食べ物を調理することを覚えたときから人類の社会が始まったと言ってよい。人々は焚火の周りに集まり、一緒に食事をするようになったので、それが人々の結びつきの場となった。調理とは、単に食べ物を煮炊きする方法ではなく、決まった時間に集団で食事をすることを中心にして社会を形成する方法でもあったのである。
(注)チンパンジー:猿の一種
以下は、キャリア教育の専門家が書いた文章である。
自分にはどんな仕事が向いていて、どんな仕事であれば、やりがいや誇りをもって働けるのか。──すでに仕事をしている大人だって、こんな問いに答えるのは、そう容易なことではないし、実感をもって答えられるようになるには、何年もの就業経験が必要なはずである。
ましてや、いまだ働いたこともない子どもや若者の場合、キャリア教育で"魔法"でもかけられないかぎり、こんな問いには答えることができなくて当然である。その意味で、「やりたいこと」や「就きたい職業」を選び、決めるということは、一種の『賭け』なのである。
もちろん、『賭け』がいけないわけではない。仕事の世界は、いったんは思いきって飛び込んでみないかぎり、それを理解することはできない。その意味で、最後の最後の段階での賭けは必要なのだが、しかし、そのままにやっておくべきことはある。(中略)その職業や仕事の世界について、産業構造のなかでの位置や業界の動静、職場や労働環境について、現実的な認識をもっていなくてはいけない。
さらに言えば、自分が、なぜその職業・仕事を選ぶのかについて、みずからの「根っこ」にあるものについても見つめさせ、深めさせたい(キャリア研究の世界では、この「根っこ」のことを「キャリアアンカー」といったりもする)。「根っこ」の部分には、その仕事に就くことを通じて、こんなふうに社会に役立ちたいとか、こんな社会を実現したいとか、自分のこんな特性を生かしたいといった、『思い』や価値観が存在するはずである。
2018年に、米国のデューク大学のエレナー・ケイヴスたちは、カリブ海の水深1〜35mのサンゴ礁に棲息するクリーナーシュリンプ(アンキロメネス・ペデルソニ)がブダイやフエダイ、ハタなどの魚の体や口を掃除するときの行動を調べた。すると魚とクリーナーシュリンプが、それぞれ相手にすごいと思える信号を出していることが明らかになった。
まず、ハタなどの魚が、白く長い触角を振るクリーナーシュリンプが棲む場所を訪ねて来て、魚が体表を暗くする。(中略)
体表の明暗の変化をクリーナーシュリンプが認識すると、自らの長い触角を前後左右に大きく振る。クリーナーシュリンプの一種アンキロメネス・ペデルソニの視力は、相手の魚の色や輪郭ははっきりと認識できないが、魚の体表の明暗の変化は十分に認識できることが明らかになっている。いっぽうでハタなどの魚の眼は、クリーナーシュリンプの体色や輪郭だけでなく、30〜40cmほど前方にいる全長2cmほどの小さなクリーナーシュリンプの細長い触角の動きを明確に識別できる。クリーナーシュリンプの触角に白く長いものが多いことは、触角の動きを薄暗い海底で明確に魚に伝えるためのものと思われる。
その触角の動きを見て、ハタなどの魚は、クリーナーシュリンプが皮膚や口の中をきれいにしたり傷口を治癒したりすることを了解したと知るのである。こうして両者が合意すればクリーナーシュリンプは、ハタなどの魚に食べられずに掃除を行うことが可能になる。
(注1)棲息する:住む
(注2)クリーナーシュリンプ:えびの一種
(注3)触角:頭の先にある感覚器官
自分で自分の書いた日記を読み返し、そこに描かれている「私」の姿にとまどいや自己嫌悪を感じた経験はないだろうか。
描かれている「私」はたしかに自分であるはずなのだけれども、まるで別人のようにも感じられる。いっそ赤の他人ならよいのだろうが、一見異なる人物が実はほかならぬこの自分自身でもある、という二重感覚がわれわれをとまどわせ、羞恥や嫌悪の引き金になるのである。
いや、こうした言い方はあまり正確ではないかもしれない。たとえば写真で過去の自分の姿を見た時、われわれが感じるのは羞恥や嫌悪よりも、むしろ「こんな自分もいたのだ」というおかしみや懐かしさである。画像が外面的、形態的な客観性を保持しているのに対し、日記は言葉で書かれているために、本来外にさらされることのないはずの「内面」を露呈してしまっている。そのためにわれわれは勝手な「内面」づくりにいそしんでいた、まさにその行為にいたたまれなさを感じるのだ。
日記に登場する「私」は実にさまざまだ。友人と喧嘩したときの記述は自分が都合よく正当化されてしまっているかもしれないし、失恋したときの記述はこの世の悲劇を一身に背負ったヒーロー、あるいはヒロインになってしまっていることだろう。その時々の要請に従ってフィクショナルに仮構された「内面」が、今、読み返している「私」と同一であることを強いられるがゆえに、われわれはいわく言いがたい羞恥と嫌悪を感じてしまうのである。
(注1)赤の他人:全くの他人
(注2)羞恥:恥ずかしさ
(注3)露呈する:ここでは、あからさまにする
(注4)いそしむ:励む
(注5)フィクショナルに仮構された:ここでは、事実とは異なる脳内の
(注6)いわく言いがたい:ここでは、簡単には説明できない
問題10 内容理解(長文)
3 題完璧に記憶でき、忘れない脳があったらいいと思う方もいるでしょう。しかし、記憶は不完全になるように、あたかも設定されているかのようです。それどころか、都合よく記憶同士を合成したり、書き換えたりすることも行われます。場合によっては、自分の昔の恋人との記憶と、現在の配偶者との記憶が混在してしまう……というような事態も生じたりしてしまうわけですが。
かといって、完璧に記憶できる人が仮にいたとしたら、一体どうなるでしょうか。嫌な思い出を忘れることもできず、周囲に合わせるための都合のよい記憶の書き換えもできず、かなりつらい人生を送ることになるでしょう。
記憶が徐々に消えていく、あるいは書き換わる仕組みが存在するのは、より良く生きていくためには自然で、当たり前のことだと言えます。
例えば、体験した危険な出来事を学習し、同様の事象を回避するための安全装置として記憶の仕組みが発達してきたのだとすれば、一定期間その危機がやって来なければ、その案件の重みづけを変え、優先順位を低く見直す仕組みが必要になります。それよりも、高頻度かつ致命的な影響を与え得る危険の方を優先的に回避するべきで、なかなか起こらないことに記憶のリソースを割いていると、かえって重要なことに対応できず、危険な状態になってしまいます。また、過去の失敗だけでなく、成功体験にとらわれやすくなるために、前例のないことには新しい挑戦をしにくくなります。
したがって、人間の能力の一部に過ぎない記憶力をことさら重要視する現代の教育や受験制度は、せっかく最適化されてきたはずの人類の生存戦略をかえってゆがめてしまっている可能性があるのではないかと思います。テストでは高得点を取るために記憶力が高い人が有利になるのは確かですが、その結果をそのまま優秀であるかどうかのランク付けとして使うのはいかがなものかと思います。
というのも、テクノロジーの発達によって、不完全な人間の記憶力はどんどん補完されるようになってきており、実際にその仕組みは社会でも利用され始めているからです。文字をパソコンやスマートフォンで打つようであれば、漢字の書き方を忘れても大きな問題にはなりませんし、そもそも人間の漢字記憶力は、パソコンやスマートフォンには絶対に勝てません。ならば、使用頻度がそれほど高くない漢字を覚えるより、素直に電子機器の恩恵に与った方がよさそうです。
(中略)
このような機器の性能はこれからさらに高まっていくわけですから、優秀な人を見分ける基準として記憶力という尺度を使うのは、多くの人が同じように感じていると思いますが、すでに時代にそぐわなくなってきているのかもしれません。
(注1)リソース:資源
(注2)とらわれる:縛られる
(注3)〜に与る:〜を受ける
問題11 統合理解
2 題A 日々の家事を頑張りすぎて疲れてしまっている人が多いという。情報番組や雑誌で「整った快適な住まい」や「健康のための手作りの食事」などが頻繁に取り上げられるので、知らないうちに自分の基準が必要以上に高くなり、多くの時間や労力を費やしてしまっているのではないか。 こういう人たちは手を抜くのは悪いことだと思うかもしれない。しかし「毎日しなければならないか」「どのレベルまでやらなければならないか」といったことは、本来自分で決めるものだ。正解はないはずなのに、いつのまにか世の中の高い基準に縛られてはいないだろうか。他人の基準ではなく自分が何を大切にしたいかを考え、そうではないことは積極的に手を抜いていくことが、ゆとりのある、自分らしい生き方につながるだろう。
B 生活の中で、何を大切にし、何をそぎ落としていくかは人それぞれに違います。周りの人にとっては無駄に思われても、自分にとってそれが大切なものであれば、それはそぎ落とす必要はありません。 ただ、あまりにも抱えているものが多いという人もいます。これは絶対にやらなければならない──生真面目な人ほどそう思い込んでしまうものです。 (中略) あまり自分を追い詰めないで、時々は手を抜いてみましょう。手を抜いたことで何らかの支障が出たなら、そのときにまた従来通りに戻せばいい。手を抜いても何も変わらないのであれば、それはやらなくてもいいものと考えるわけです。 手を抜くという行為は悪いことだと思われがちですが、そうではありません。すべてのことを完璧にするなど無理なことです。大切なことは、手を抜いていいものといけないものを仕分けすることだと思います。 (注)そぎ落とす:ここでは、削る
問題12 主張理解(長文)
3 題生活者に、「〇〇と言えば、自社の商品」という形で自社商品を第1に想起させるには、商品は広告の中心に置かれていなければならない。しかしいつの間にか、商品を中心に置くということが広告をする上でないがしろにされてきている。どの企業からも似たような商品しか出てこなくなり、商品のコモディティ化が進んできてしまったため、商品の差別化を、イメージだけでなんとか乗り切ろうとしている。テレビCMでもウェブ動画でも、商品の存在は最後の最後まで消し去られ、ちょっとおもしろい、ちょっと楽しい、ちょっと感動するような話が繰り広げられ、最後のほんの一瞬に商品が紹介されて終わる広告だ。これらはたいてい、最後に登場する商品が仮に他社の商品でもなんとなく成立してしまう。広告はおもしろくてちょっと話題になるかもしれないが、話題の中心は広告であり、商品は忘れ去られている。なんの商品の広告だったかも覚えられていない。
この様な、イメージによって差別化を図る最近の形として挙げられるのが、この数年、世界の広告賞でも取り上げられている「ソーシャルグッド」と呼ばれる種類の広告だろう。社会的な問題、たとえば国家対立や貧困、ジェンダー論といった世界の誰もが抱えている、もしくは理解できる問題を提起し、決してその問題を根本的に解決するわけではないが、生活者に考えるきっかけを与えたり、はっと気づかせたりする広告だ。「作品」として素晴らしいものばかりで、多くの気づきを与えてくれる。ただしこれらの広告により、どこまで生活者の態度変容を引き起こすことができたのかは疑問である。
確かに素晴らしい気づきを与えてくれて、この様なメッセージを発信する商品は良いブランドだと感じる。ただし「良いブランド」止まりであり、これだけでは自分の生活を良くするのに必要な存在にはなれない。かつ、この様な尊いメッセージを発信するばかりに、かえって近寄り難い存在になることもある。
(中略)
大切なのは広告で社会奉仕をすることでも、良いイメージを与えることでもなく、商品を生活者にとって必要な存在にすることである。商品を生活上役に立つ存在だと認識してもらい、買うに値する理由を明確にすることだ。商品は、この世で必要だと思ってくれる人がいるから存在することができる。だからこそ明確な購買理由を提案していくのだ。
(注1)想起する:思い起こす
(注2)コモディティ化:一般化
問題13 情報検索
2 題宅配クリーニング「ピース」 ご利用案内
インターネットで注文して、バッグに衣類を詰めて送るだけ。 日本全国どこからでもご利用いただけます。
ご利用の流れ ① ホームページの注文用フォームからご注文ください(初回は会員登録が必要です)。 ② ご注文後、発送用バッグをお送りします。ご自宅にある段ボールや袋を使っていただいても構いません。衣類を詰め、指定の宅配会社に集荷を依頼し、ご発送ください。 ③ クリーニング済みの衣類を宅配でご自宅にお届けいたします。
■ 会員種別 特別会員か普通会員がお選びいただけます。特別会員は、送料の優遇があり、短い日数でのお届けが可能です。特別会員は年会費8,000円、普通会員は年会費無料でご利用いただけます。
■ クリーニング基本料金 コート 2,500円 セーター 800円 ジャケット 1,300円 ワイシャツ 400円 ワンピース 1,500円 着物 5,000円〜 ・初回は、会員種別を問わず上記基本料金の30%引きのお値段でご利用いただけます。 ・上記以外の衣類の取り扱いと料金については、ホームページをご確認ください。
■ 送料(往復) 特別会員 ・クリーニング基本料金の合計が3,000円以上の場合は無料、3,000円未満の場合は2,000円 ・初回は、クリーニング基本料金にかかわらず、送料無料 普通会員 ・クリーニング基本料金の合計が8,000円以上の場合は無料、8,000円未満の場合は2,000円
■ お客様のご発送の日からお届けまでの日数(東京都にお住まいの場合) 会員種別と、お客様のご発送の時間帯によって異なります。 16時までのご発送 16時以降のご発送 特別会員 3日後 4日後 普通会員 6日後 7日後 ※着物の場合は上記に5日加えた日数になります。その他の衣類と一緒にご注文の場合、着物のクリーニングが終わったあとで、まとめてのお届けになります。 ※東京都以外の地域の日数は、ホームページをご確認ください。
宅配クリーニング「ピース」 〒149-8547 東京都横山市村北1-9-13 電話:069-689-7956 https://www.peacecleaning.jp/