文字(漢字読み)
6 題語彙
19 題文法
10 題文の組み立て
5 題文章の文法
4 題文芸の毒 「事実は小説よりも奇なり(注1)」と言われるのは、たいていの場合、事実は平凡で小説が奇であるからこそ、いや、そうでないこともあるのだぞ、という警告を込めてのことであろう。 実物よりもそれを写した写真や絵の方が美しく、実在の悪党よりもそれを主人公として描いた小説や映画の中に出てくるそいつの方が、ずっと、悪辣残虐な印象を与えるということがある。芸術の力、言葉の41。 私は永井荷風(注2)の小品『春のおとずれ』(明治42年作)を読んだ上き、かるい衝撃を受けた。生まれてこのかた、何十回もの春の訪れを実験(実際に体験)してきたにもかかわらず、荷風がたった七、八ページの文章の中で描写した春の息吹き、鼓動の一万分の一すらも私は実感したことがないということに気付いたのである。 私は荷風の文章————庭の土の色の変化や庭先に生動する楓や野菊の様子、流れ渡る日の光、風ともつかぬゆるやかな大気の動き、鶯や雀の声、それらの仔細を美しい言葉にのせて綴った文章を読んで、はじめて、訪れる春の本質というものを感じ、かつ知ったような気がした。大自然を凌駕する文芸の力がそこにあった。 私の敬愛する知人の一人が42言った。「昔、文学をやろうと思ったこともあったが、永井荷風がいるんでやめたよ。荷風があれだけのことをやっているんだもの。おれが何か書いたって敵いっこないし、またその必要もないしね」。 はじめ,冗談半分のつくりごとか、照れかくしのための大げさな言い回しかと思っていた。この言葉を聞いて二十年たち、その間、この人と文学談めいた話は二度と交わしたことはないが、このごろ、あれはホンネだったのだと43。 文筆の才があり、今も若い人たちに慕われている人である。表立ったところには一切ものを書こうとはしない。著書なんかとんでもないという人である。私はこの人は荷風の毒にあたったのではないかと思う。あまりにもすぐれた文芸は、そのつよい毒であとに来る人の意気を沮喪して(注3)しまうことがあるのではないか。44、明治四十二年以来、有名作家の筆になるもので、春の訪れそのものを描いた作品はほとんど見当らないようであるか?
第3页 (注1) 奇なり:不思議である (注2)永井荷風:二十世紀初めから半ばにかけて活躍した小説家 (注3)意気を沮喪する:やる気を失わせる
問題8 内容理解(短文)
4 題昨今の雑誌はあまりにもレイアウトに凝りすぎる。最初に草稿をこまかく仕切っておいて、それに合わせて原稿を作るから、読んでいても書いていても息苦しい。デザイナーは設計図に合わせて材料に手を加える。足りなければ増やし、はみ出せば切りちぢめる。でも編集者はちがう。編集とは本来、すでにある材料をそのまま組み合わせ、そのことによって新しい意味の深さやひろがりを作り出す作業なのだ。私はデザイナーではなく編集者がつくった雑誌が読みたい。
並木は四季折々に変化する自然の壁である。葉を落として列柱のような状態があったり、花を咲かせて賑やかなトンネル状の壁を作ったり、葉を繁らせて密な緑陰の壁になったりする。この連続、柔らかな透けた壁が、どれほど街並みの一体化に役立っているか、まとまりがなく不揃いな街路も、並木によってまとめられ、緩やかな連結を成功させている例など、数え上げればきりがないのである。
わたしが幼児期から青年期までを過ごした半世紀前の「日本」は現在の「日本」からみれば「外国」である。あるいはわたしにとっての「母国」はすでにどこかに消え去って、今のわたしは馴れない「外国暮らし」をしているのかもしれぬ。国名だけはかわっていないが、一つの「時代」は「外国」であり、そこにあるのはあきらかに「異文化」なのである。
筆者がレコード会社の宣伝担当者から聞いた言葉に「流行っていると思わせれば、本当に流行る」というのがある。こうした宣伝の場面において音楽産業が力を注ぐのは「事実」ではなく「買い手にそう思わせること」、つまり「認識の形成」である。こうした手法を音楽産業は「夢を売る」とよく呼ぶ。つまり音楽産業は買い手がほしがる「ファンタジー(注1)」を先んじて(注2)キャッチし、商品化し、売ることに長けている(注3)。
(注1)ファンタジー:幻想
(注2)先んじて:ここでは、誰よりも早く
(注3)長けている:優れている
問題9 内容理解(中文)
9 題近年、わが国では、物事を解説したり、考え方や視点を明確に伝えたりする際に、難解な言葉や文章を使うことは敬遠され、よりわかりやすい言葉や文章、語りが求められる傾向が顕著である。テレビの番組などでニュース解説を担当するキャスターの中には、そのわかりやすい解説で人気を博す(注1)者もある。わかりやすさは確かに重要であり、学校の授業でもよい授業、子供たちの効率のよい学習活動が展開される授業における指導者の言葉や解説は、わかりやすく的確である。さらに各種の映像装置を駆使するなど、わかりやすさを実現するための技術も進歩している。そこでは、言葉が思考と伝達のための主たる役目を担うことになるが、そのわかりやすさはときとして、受け取る側の思考の多様性や広がり、深まりを妨害することがある。
わかりにくいものとわかりやすいものがあれば、人は当然わかりやすい方を選択する。わかりやすく的確な言葉は、そのまま学習者の中に蓄えられる。そして、多くの人はその時点で学習が終了したと考えるのである。わからなかったことがわかった、新しい知識を得た、これが学習の最終段階だと思ってしまうのである。しかしそれは、自身の中にその解説を発した人の言葉や考えを取り入れたにすぎない。「学びの真正性(注2)」とは、そこから自身の新たな思考を広げ、それらが表現される段階まで進むことである。そして、その多くは自分一人で行われるものではなく、他者との関係性の中で成立することが多い。
(注1)博す:得る
(注2)学びの真正性:ここでは、本物の学び
ある行動を何度も繰り返せば、それが自動化され、あまりそのことに思考を向けないようになっていくことが多いが、いつもそうなるとは限らない。例えば、人との雑談の中で、自分の考えを率直に述べるということをいつもやっていれば、確かに 1 そのことは自動化され、自分の考えを述べようと特に意識しないでも、気楽に自分の考えを話すような習慣できる。(中略)
しかし、もし、率直に自分の考えを述べたときに、周囲の人から非難されたり、拒否されたりするということが繰り返されると、多くの場合、率直に話す自分にマイナスになるという考えが起こって、率直に話すという行動に自分でブレーキをかけるようになる。何回もブレーキをかけていると、ブレーキをかけること自体が自動化して、自分では行動の結果を取り立てて予期することなしに、なんとなく、率直に発言することが少なくなり、おとなしくなるといった変化が起こってくる。 2 このような現象を行動の抑制の自動化という。
行動の抑制の場合も、それが自動化すればするほど、思考の果たす役割は少なくなるのだが、思考の仕方や内容
によって抑制の度合いは変わってくる。例えば、自分の述べようとする意見について、何回も繰り返し考えていると、だんだん抑制が弱まってきて、気楽に発言できるようになることもあり、逆に、考えれば考えるほど、発言後の嫌な予想と結びつき、抑制が強まったりもする。このように、行動の抑制に対しても、暗示とまではいかないが、思考が影響を及ぼすのである。
「教師と生徒」「師と弟子」は、位相(注1)は似ているがまったく質の異なるものだ。弟子は師を選べるが、生徒は教師を選べない。師も弟子を選べるが、教師は生徒を選べない。師はいわば固有のひとりの人だが、教師はたくさんいるなかの偶然的な一人である。「師と弟子」は「教師と生徒」の煮つめられた(注2)範型(モデル)ではない。「教師と生徒」は近代のものだが、「師と弟子」は思想(宗教)や武術や技能や芸術の世界には昔からあったもので、「特別に卓越した人」からその「優れたもの」を真摯に学ぼうとするごく特殊な個別的なつながりである。「師と弟子」の場合、弟子は何を学ぼうとしているかははっきりと意識している。生徒の場合は、自分が学ぶことになる近代の膨大な知や生活や技術についてはほとんど認知していない。(中略)
「教師と生徒」は私(個人)と私(個人)のつながりではなく、公(社会的役割)と公(社会的役割)の関係であり、心的つながりは二次的なものである。個人と個人が求め合って結びついたものではなく、社会システムに媒介されたつながりである。それに対して、「師と弟子」はもともと個人的なつながりであり、「求めるもの」「到達すべきもの」「語るべきもの」を共有している。かなりの心的部分が同志的につながっていると考えられよう。「教師と生徒」のつながりの目的は、子ども(生徒)の市民(個人)形成に還元されるものであり、「師と弟子」というような濃い密度のつながりに昇華することは通常考えられない。
(注1)位相:ここでは、関係性
(注2)煮つめられた:ここでは、究極的な
(注3)昇華する:ここでは、高まる
問題10 内容理解(長文)
3 題地球の長い歴史の中で生物は進化と分化をし、生物種の数は基本的には増える傾向にある。地球上の生物の種類が急激に増えたのが、カンブリア紀と呼ばれる約五億年前のことで、生物種の「ビッグバン」と呼ばれることもある。だが、その後生物の歴史の中では、過去五回、生物種の数が急激に減少する「大絶滅の時代」があったことが化石の分析などから分かっている。(中略)
現在確認されている種の絶滅は、ほんの氷山の一角である。多様な生物が生息している熱帯林が減少する速度からすると、一年間に一千万種のうち二万七千種が絶滅していると推定されるとの研究結果が報告されている。現代は地球の歴史の中で六回目の生物の大絶滅時代だと言えるのだ。
六回目の大絶滅時代は、過去の五回と多くの点で異なる。一つは生物が絶滅する速度が非常に速いということだ。化石の分析などから推定された自然界での生物絶滅の速度は百万種に対して一年間に一種というペースだ。多くの研究は、現在の生物絶滅の速度は自然に起こる生物絶滅の速度の百〜千倍で、その速度はどんどん速くなっていると指摘している。今回の大絶滅が、ほとんどが人間活動が原因で起こっているという点も過去と大きく異なる。自然に起こる絶滅は止めることはできなかった。だが、今回の大絶滅は人間の行動パターンが違っていれば起こることはなかった。逆に言えば、人間が行動を改めれば、絶滅を食い止めることができるかもしれないということになる。
過去の大絶滅の後では、恐竜が減った後で哺乳類が栄えるようになったように、ある種の生物がいなくなったことで、他の生物が生息地を広げることができるようになり、その後比較的短時間のうちに種の数は増加に転じている。
だが、今回の大絶滅の場合は、速度が速いために生物が変化について行けない可能性がある。しかも、新たな生物が生まれる「ゆりかご(注)」となるような湿地や熱帯林、浅い海などの場所は、人間の開発行為によって破壊され、汚染されている。大絶滅からの復活につながる生物進化の力も、人間が奪っている可能性が高い。今この地球上で起こっている「第六の大絶滅」は、過去の五回とは質的に大きく異なり、地球の生態系にとって取り返しがつかないものとなる可能性が否定できない。
現在のペースで熱帯林や珊瑚礁、湿地などが破壊されたら、生物種の絶滅や生物多様性の損失は今後も急速に進むことが心配されている。しかも、今世紀半ばくらいには、地球温暖化の進行が生物種の絶滅に拍車を掛けることになることも懸念されている。このままでは、地球の長い歴史の中で例がないほど生物多様性の減少が著しい、傷ついた地球を次世代に引き渡すことになってしまうのである。
(注)ゆりかご:ここでは、生物の生育に適した環境
問題11 統合理解
2 題A 変化の激しい時代に必要な頭の使い方というと、できるだけ多くの情報を集めて、できるだけ正しく未来を予測するといったことを、イメージする人は少なくないでしょう。しかし、多くの情報を集めても、世の中が予想もしない形で変わると、それらがあまり役に立たなくなってしまう可能性があります。つまり、変化の時代とは、将来が見通しにくい時代でもあるのです。 このような時代に必要なのは、ただ情報をかき集めることではなく、自分なりの発想や、自分なりの考え方を組み立て、情報を処理することです。(中略) 情報収集が劇的に楽になった分、「考える」ウェイトはますます重くなっています。いわば、みんなと同じ情報を材料にしながら、いかに新しく、人とは違う発想で、おもしろいことを考えつくか、そういう点での「考える」力がより求められているのです。
B 今は多くの情報が溢れ、インターネットで何でも調べられるようになった。しかし、ただ待っているだけでは何も手には入らない。あくまで自分から情報を求めていかなければ、あっという間に取り残されてしまう。 技術が高度に発展した現代では、ゼロから何かを生み出したり、人とは異なるものを考え出すのは困難だと思うかもしれない。しかし、独自の視点を持って既存のものやアイデアを組み合わせていくことで、これまでになかったものを創造することは可能だ。そのためにもやはり、土台となる情報が必要だ。現代は、どれだけ多くの情報を手にしているかで決まると言っても過言ではない。
問題12 主張理解(長文)
4 題例えば、3年間ずっとノーミスでやってきた論田くんが、はじめてミスを出した。
3年前からずっとその仕事ぶりを観てきた上司と、異動していきなり論田くんのミスに出くわした上司と、論田くんへの印象は同じだろうか?
両者のミスの「情報占有率」がちがう。つまり、3年間のつきあいの中で、ミスが占める割合と、たった1回初めて論田くんと接した中で、ミスが占める割合と。
相手は、あなたが過去からずっと積み上げてきたすべての情報で、あなたを判断するのではない。結局は、そのとき相手が持っている情報だけで判断される。その中で、いい情報の占める割合が多ければ「いい人だ」となる。
あなたが「優しい人」で10年間怒ったことがなかったとしても、10年ぶりに怒ったとき、たまたまでくわした初対面の相手にとっては、それが100%だ。あなたを「恐い人」だと思う。
自分にふさわしい「メディアカ」を相手の中に刻むために、ちょっと「情報占有率」を意識してみるといい。
コミュニケーションでは、出会いからはじまって、相手から見たあなたの「メディアカ」が決まるまでの間が肝心だ。つまり、初めの方が慎重さがいる。ここで、かっこつけるのでもなく、でも、あなた以下にもならず、等身大の(注1)あなたの良さが伝わるのが理想だ。
いつも質の高い仕事をしているなら、はじめての仕事先に対し、決していつもの質を落としてはいけない。ふだん静かな人なら、初対面の相手にも、奇をてらったり(注2)せず、普段どおり静かにしていればいい。自分にうそのないふるまいをする、ということは、初対面の相手にこそ大切だ。
さて、ここで問題なのは、ふだんとても穏やかなあなたが、その日はたまたま嫌なことが重なり、攻撃的になっているという場合だ。自分にうそのないということで、相手にきついことを言ってしまったらどうだろう。あなたにとっては、年に1
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回の、「たまたま不機嫌な日」でも、相手にとっては、あなたに関する情報の100%になる。
初対面の相手、まだ付き合いの浅い相手には、すこし慎重になって考えてほしい。
何が、自分にうそのないふるまいか?自分の正直な姿を伝えるとはどういうことか?
日ごろ99%穏やかなあなたなら、1%の異常よりも、いつもの穏やかさを伝えるほうが、結局は、正直な姿を伝えている。相手の中に、あなたの実像に近い「メディアカ」が形成されるからだ。初対面の相手にこそ、平常心であること、普段どおりにやることが大切だ。
(注1)等身大の:誇張のない
(注2)奇をてらう:変わったことをして、他人の気をひこうとする
問題13 情報検索
2 題田原陶芸 工場見学・陶芸体験のご案内 田原陶芸では、陶磁器の生地の製造から絵付けまでを見学したり、カップや茶碗作りを体験したりすることができます。こ自身がお作りになったものは、後日お送りいたします。 開始時間 1 9時、 2 10時、 3 14時
所要時間 A.工場見学と陶芸体験:約80分 B.工場見学:約30分 注意:土、日、祝日は工場の一部が見学できない場合もございます。
予約方法 インターネット: https:// www.tahara-togei/ kojo-kengaku/ yoyaku電話:0731-92-3604(8:30~ 16:50)
休業日 年末年始、お盆
費用 工場見学:無料 陶芸体験:2,000円(送料込み)
所在地 安見市西町5982
問い合わせ先 田原陶芸株式会社 工場見学·陶芸体験担当 電話:0731-92-3604(8:30~ 16:50)
*1 インターネットでのご予約は、見学希望日の3日前まで承っております。 *2 お電話でのご予約は、見学希望目の前日まで承っております。 以下のお客様に関しましては、必ずお電話でご予約ください。準備等ございますので、見学希望日の7 日前までにお申し込みをお願いします。 ·10名以上の団体で利用されるお客様 ·学校にかかわる活動で利用されるお客様
明日(12月 15 日)から一週間の予約状況○予約可△残り2名以下 ×不可
15(火) 16(水) 17(木) 18(金) 19(土) 20( 日) 21(月)
1 9時 ✗ ◯ ○ ✗ △ ○ ✗
2 10時 △ ✗ ✗ ○ ✗ ✗ ✗
3 14時 △ △ ○ ○ ✗ ○ △
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