文字(漢字読み)
6 題語彙
19 題文法
10 題文の組み立て
5 題文章の文法
5 題以下は、小説家が書いた文章である。 「好き」という言葉の罠 「好き」という言葉は曖昧だ。意味が曖昧なわけではない。言葉に込められる感情の強さの度合いがはっきりしないのだ。ないよりはあったほうがいいという程度の「好き」もあるし、それを奪われたり失ったりしたら死んでしまうかも知れないという強烈な感情や意志を伴う「好き」もある。私事で恐縮だが、わたしは小説を書くのが好きではない。じゃあ嫌いなのかというとそうでもない。おそらくそれがなくては生きていけないくらい重要で大切なものだが、非常な集中を要するのでとても好きとは言えないのだ。41小説を書くことは好きという言葉の枠外にある。 子どものころから文章を書くことは得意だったが、好きではなかった。もし自分が小説を書くことが好きだったらどうなっていただろう、と考えることがある。もし好きだったら、たぶん日常的な行為になっていただろう。つまり小説を書くことが自分にとって特別なことではなくなっていただろう。42小説を書くことそのbonに満足を覚えるようになったかも知れない。執筆が日常的な行為と化すこと、書くことそのものに満足すること、いずれも予定調和(注1)に向かう要因となる。わたしにとっては忌避すべきことだ。 「好き」という概念を43。だが好きという言葉は自家撞着(注2)、満足の罠に陷りやすい。程度の差はあっても、好きという感情には必ず脳の深部が関係している。理性一般を司る前頭前皮質ではなく、深部大脳辺縁系や基底核が関わっている。「好き」は理性ではなくエモーショナルな(注3)部分に依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。「なぜ好きなの?」「どう好きなの?」と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好きが脳の深部から湧いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが44、逆に、他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。 「なぜあの人が好きなの?」「お金持ちだから」というようなやりとりを想像すればわかりやすいが、説明可能なわかりやすい「好き」は、何かを生み出すような力には45。
(注1)予定調和:ここでは、創造的でない状態 (注2)自家撞着:自己矛盾 第3页 (注3)エモーショナルな:感情の
問題8 内容理解(短文)
4 題以下は、ある会社がホームページに掲載したお知らせである。
株式会社フジハルク>お客様へ大切なお知らせ
2019年10月 1日
株式会社フジハルク家庭用エアコン「A42-C4」の再修理のお知らせ
日頃は弊社製品をご愛用いただき、厚く御礼申し上げます。この度、家庭用エアコン「A42-C4」について、弊社が2019年4月から8月の間に行ったホース修理の際に使用した金具に不具合があることが判明しました。そのため、その期間に修理をした製品に対して再修理を実施させていただくことになりました。つきましては、再修理の対象となるお客様には、弊社製品の修理を行っております関連会社「FHエンジニア」より直接電話にてご連絡させていただきます。なお、本件に関するお問い合わせは、弊社お客様センターまでお願いいたします。お客様には大変ご迷惑とお手数をおかけしますことを深くおわびいたします。何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
株式会社フジハルク お客様センター
TEL:0120-333-4585(受付時間10:00~18:00 土日祝休み)
目的地を目指して走るだけでは、人生というのはもったいないのではないか。私は散歩することが好きなのだが、散歩というのは、ゴールをめざして邁進することの対極(注)にある。むしろ目的に縛られていたのでは見えてこないものへと心を開いていなければいけない。ちょっとした季節の移り変わり、鳥の声、ここちよい風。店先からパンを焼くにおいなどが漂ってくると、それだけで幸せな気持ちになる。人生にも、こんな味わいがあるだろう。
(注)対極:反対の位置
子どもたちは、教師から「自分で考えなさい」「人の真似をしてはいけません」ということを明示的にも、暗黙的にも示されると、「人の真似ではない」という「真似」をすることを学ぶようになる。例えば、自分自身の気持ちとは裏腹に、あえて「人とは異なる発言、あるいは行動をする」ことを学んでいく。この学びが模倣ではないとどうして言えようか。一見個性的、一見創造的に見える仮面をつけた模倣は、明らかな「形」の模倣とは異なる故に、その実体が見えにくい。
第4页
かつては「必要は発明の母」であった。技術は物質的な欲望から出発したのは事実だが、「必要」という精神の飢えが「発明」という物質的生産へと導いたことを忘れてはならない。精神が物質をコントロールしていたのだ。しかし、現代は「発明は必要の母」となった。「発明」品を改良して新たな機能を付加することにより、人々に「必要」であったと錯覚させ、消費を加速したのである。必要と発明の関係が逆転し、物質が精神を先導するようになったと言える。
問題9 内容理解(中文)
8 題私たちは頭の中で「考える」とき、決して論文のように筋道の立った記述のように考えるわけではない。たとえば私の評論を書くときの経験では、論旨のエッセンスとなるような直感とか、ハイライト(注1)部分の「決め」になるようなフレーズ(注2)を思いついたときに「これは書ける」なんてわくわくして思い立つのである。つまり、その瞬間の頭に浮かんだものは、ばらばらな断片と大まかな展望に他ならない。そのピンポイント(注3)の断片と他の断片との間を、スムーズな説得力のある流れになるように継ぎ足していく作業が「書く」という仕事である。
しかし、スムーズにつなぐことに集中しすぎると、もとの目的地から逸れた方向へ論旨が勝手に伸びていってしまうことが、まま(注4)ある。(中略)
ひとは書こうとしていたことをきちんと書けるわけではなくて、むしろ積み木のように書き足しているうちに、最初は書こうともしていなかったことを知らず知らずに書いてしまうことが少なくないのである。そのくせ書き上げてしまうと「そうか、自分はこういうことを考えていたんだ」などと思えてくるから不思議だ。
私たちの意識は、言葉とイメー網ジのの目をふわふわ漂っているようなものである。それが言葉や文章に定着したとき、「考え」というものになる。言葉を抜きにして「考え」は存在しない。順序として「考え」がもともとあったから言葉が出てくるのだと思いがちだが、逆に言葉が出てきて初めて「考え」ははっきりするものなのである。だから言葉の運動が勝手に作り上げてしまった論旨が、いつのまにか自分の「考え」になってしまうという現象が起こるわけだ。
(注 1)ハイライト部分:ここでは、重要な部分
(注2)フレーズ:ここでは、言葉や表現
(注3)ピンポイントの:ここでは、中心となる
(注4)まま:時々
イギリスの科学誌『ネイチャー』の最近の号に、カエルの種多様性と寄生虫の感染率についての論文が載っています。
カエルの全数は同じで、特定の1 種類しかいない場合と、数種類のカエルが共存する場合で、ある種のカエルが寄生虫に感染して発病する割合は、前者のケースのほうが高いという内容です。つまり多様性が高いと特定の種が病気になる割合が下がるというのです。
(中略)
他の種が存在することによって自分が病気になる確率が下がるとするのなら、それぞれの種は互いの種を競争で滅ぼしてしまわないほうが自分も得をします。もしかすると、自分たちの使う資源を他の種に譲ってでも、それを存続させることが有利になるかもしれません。アリのような種内での協力と同様、いくつもの種がコストを払って共存し合うことで、それぞれの種が得をしている可能性があります。種のレベルを超えた協力と言えるかもしれません。
この話がさらに面白いのは、それが寄生虫という、カエルを滅ぼしかねない要因とリンクして起こっている点です。寄生虫の側から見た場合、感受性の(感染する)カエル1種だけのときは、どの個体へも感染でき、そこで成長できますから、短期的な寄生虫の増殖率は高くなるでしょう。しかし、全部のカエルに感染して殺してしまうと寄生できる相手がいなくなるため、寄生虫も滅びなくてはならなくなります。したがって、いろいろなカエルがいることは、寄生虫にとっても、自身の長期的存続を可能にするメカニズムとして働いているのです。
今、モノづくりの過程を「見える化」と称して可視化(注1)、数値化し、技やノウハウを共有化したり、さらには自動化して人を減らそうという動きが盛んになっています。けれど、この過程には大きな危険が潜んでいることを認識しなくてはなりません。
モノづくりには、手づくり、手作業の要素が非常に重要です。経験、勘に基づく技は体で覚えるしかありません。見える化しようとすると、すべての作業をデジタル的に数値化することになります。しかし、勘や経験による手作業は数値化できません。また、どんな思いを込め、どんな気持ちでつくっているかという心の部分は数値にしようがありません。
(中略)
見える化の過程には「省略」と「変形」が起きる危険性があります。怖いのは、一度、仕組みができ上がると、それが元の実態であるかのような錯覚を起こし、一人歩きしてしまうことです。見える化されたものは、元々の姿からアナログの部分が省略され、変形しているのです。これに気付かなければなりません。
もう一つの危険は創造が起きなくなることです。ある職人の技があったとします。これを見える化しても、そこからは何も新しいものや価値が生まれているわけではないではありません。
匠の技とは、自分で経験を積み、手で触り、頭で考えている中で、「こうしたほうがいい」「こんなやり方があるな」と気付き培ってきたものです。つまり、手作業のプロセスの中にこそ創造があるのです。
今のやり方を見える化、自動化し、手作業のプロセスを抜いてしまえば、新しい技術は生まれません。
(注1)可視化する:目に見えるようにする
(注2)匠:優れた職人
問題10 内容理解(長文)
4 題脳科学はヒトそのものの仕組みを明らかにしようとする学問です。そのため、その成り立ちから人々の耳目を引く(注1)ように運命づけられていると言えます。脳科学は、誰もが青春の一時期に悩む「自分って何だろう」という疑問に科学の力で挑むという、考えてみたら少し青臭い(注2)学問だったりするのです。
だからというわけではありませんが、人々の口に上りやすく、そのため伝搬のスピードも他の学問と比べて早いように思います。特に、自己の知覚の裏をかかれる(注3)ようなさまざまな現象、たとえば錯視現象や無意識と意識の話などは、自己恒常性、つまり自分がいつも自分であり続けることに関わるだけに、他のどんな科学より人々の気持ちを驚掴みにします(注4)。そのせいで、脳機能を理解する前に現象だけが先走って人々の間に広がっていくことも多い学問です。もちろん、那是何より面白いからです。
そんな脳科学も、昨今の説明責任という考え方や社会還元という意味合いで、一般の人々へなんとか知見のフィードバック(注5)をしなければならない圧力にさらされています。少し前には、脳科学の研究成果が新聞に掲載されることはあまりありませんでしたが、今ではプレスリリース(注6)も当たり前に行われますし、そこではできるだけ面白く人々からの要請があると、僕たちはなんとかそれに応えようとして、浅薄な脚色をして本当の面白さをゆがめてしまいがちになります。
そういう「メディア対応」と呼ばれる技術も科学者に必要とされている現代は、ある意味で科学者にとって不幸な時代なのかもしれません。
(中略)
昨今の過剰なメディアの脳科学の取り上げ方は、科学者の説明責任を遥かに逸脱したレベルであるように思えるのです。そういうメディアの要求に、誠実に対応しようとすればするほど、科学者は自分をすり減らすことになるでしょうし、だんだんと科学の現場から乖離せざるを得なくなるでしょう。それは、優秀な科学者を潰すことになります。
科学者の価値は、何よりも科学の現場に居続けることにあります。科学的知見に裏打ちされない(注7)空論を弄ぶのではなく、常に研究の現場に自分をつなぎ止め、足を杭で打ち付けてでも科学の現実から離れないようにすること。そういう決意をもってメディアに対応するのであれば、フワフワと遠くに行ってしまうことはないでしょう。
(注1)耳目を引く:注意を引く
(注2)青臭い:ここでは、純粋すぎる
(注3)自己の知覚の裏をかかれる:ここでは、自分が思いもしなかった
(注4)驚掴みにする:ここでは、強く掴む
(注5)フィードバック:還元
(注6)プレスリリース:メディア向けの公式発表
(注7)〜に裏打ちされる:〜に裏づけられる
問題11 統合理解
2 題A 褒めれば人は育つといいます。確かに人間は叱られるより、認められたり褒められたほうが嬉しいに決まっていますし、「よし、次もがんばろう」とやる気も出るものです。リーダーだって、普段からガミガミ言うより、部下を褒めるほうが自分自身の気分も良いでしょう。 しかし褒めてばかりいると、今度は思わぬ弊害が出てくると私は考えています。確かに部下の士気は上がるのですが、逆に褒められることが目的になりかねない。「お前は偉いな」と課長に褒められたいから、仕事を一生懸命にやるようになってしまうのです。 (中略) 「良くやった」「偉いな」などという言葉は、たまに言うから効果的なのであって、日常的に口にしていたら効果は半減してしまうでしょう。要は褒めるところと叱るところ、リーダーはいつも人を見てバランスを考えなくてはなりません。
B 部下のやる気を引き出すようにうまく褒めるのは難しい。的外れな褒め方をすれば「自分をよく見ていない」と不信感を抱かせてしまうし、皆の前で特定の人ばかりを褒めれば、チーム内の関係が悪化してしまうこともある。さらに褒め続けることで、部下が、仕事への責任感や使命感からではなく、上司に褒められることを目的にがんばるという状態になってしまう恐れがある。 このような事態を避けるために、上司には適切に褒める技術が求められる。部下が良い仕事をしたら、タイミングを逃さずその場で褒めることが効果的だ。また、成果だけを褒めるのではなく、仕事の過程の中で何が良かったかを取り上げて褒めることが重要だ。そうすれば、部下も評価された点を明確に自覚でき、次の仕事にもつなげやすくなる。
問題12 主張理解(長文)
4 題交換と交易(注1)の歴史は非常に古く、何万年も前までさかのぼれるようだが、貨幣経済は進化史的に言えばごく最近のことである。どんなものにも変えることができる抽象的な価値とは、とんでもない発明だと思う。(中略)
それは、貨幣というものが、確かに人間の生活を変え、世界を見る目を変え、欲望のあり方を変え、人生観を変え、結局のところ人間性を変えてきているように思うからだ。貨幣経済の真っただ中で暮らしている私たちにとって、貨幣は当たり前の存在だが、ヒトという生物にとって、こんなものの存在は決して当たり前ではなかった。そして、大量の砂糖や脂肪の存在に私たちの脳も体もうまく対応できていないのと同じく、この貨幣という存在にも、実は私たちの脳はうまく対応できていないのではないだろうか?
第8页
ヒトが狩猟採集生活をしていた頃、ヒトは自分たちの手で集められる食料を食べ、自分たちの手で作れる道具や衣服を使って暮らしていた。できることは限られていたし、望めることには限度があった。まさに等身大の(注2)生活である。それ以上の世界の可能性を知らなければ、欲望にも限りがあった。「欲しい物」というのは具体的な物であり、それを手に入れる方法は限られていた。そして、ヒトはそのことを知っていた。
しかし、何にでも交換できる抽象的な価値が手に入るようになると、それ自体を得たいという新たな欲望が生まれる。「金の亡者(注3)」は、何か特定の物が欲しいから貨幣を得るのではない。ともかく貨幣をためることが何にもまして大事な目的なのだ。そこには限度がない。
また、何にでも交換できる抽象的な価値は、人間関係を買うことも、幸せな気分を買うこともできる。貨幣がない時には、人間関係を築いていなければできなかったことが、個別の人間関係抜きに手に入る。逆に、貨幣なしではほとんど何もできない。
そして、今では、貨幣を手に入れることは一つの職業につくことである。一つの職場で一つの仕事をし、その対価(注4)に貨幣をもらう。そうすると、ヒトは、自分が独立して生きていると思う。本当は、今でも狩猟採集生活時代と同じように、みんなで共同作業をすることで生きているのだ。農家がいなければお米も野菜もない。物流や商店がなければ、買うことができない。医者がいなければ病気を治せない。学校の先生がいなければ教育ができない。今でも、みんなでともに生き、生かされて暮らしているのだが、それぞれに貨幣が介在しているので、共同という感覚がなくなる。便利なものには必ず負の面がある。ちょっと立ち止まって考えてみた方がよい。
(注1)交易:ここでは、取り引き
(注2)等身大の:その人の状況や能力に合った
(注3)金の亡者:異常に金銭に執着する人
(注4)対価:ここでは、報酬
問題13 情報検索
2 題十条市国際交流事業助成制度 2020年度募集概要 趣旨 本制度は、市民が行う国際交流事業を市が助成し、国際交流を推進することを目的としています。 対象団体国際交流活動を行う団体で、次のいずれにも該当する団体 ● 団体の主たる成員が十条市民で、1年以上の活動実績があること ● 過去3年以内に本助成金の交付を受けていないこと 対象事業 2020年4月 1日から12月 31 日までの間に実施される事業で、「国際理解と国際協力」または「多文化共生社会の実現」に関するもの 助成額 1事業あたり30 万円以内(1 団体につき1事業のみ応募可) 提出書類 1 申請書 2 事業計画書 応募方法上記の書類を郵送していただくか、センター窓口に直接ご持参ください。 (メール、ファクス不可) 応募期間 2020年1月10日(金)~1月28日(火) *最終日必着(窓口持参は17 時まで) スケジュール 説明会 1 2019年12月 10 日(火)13:00~14:00 ▼ 2 2019年 12 月 19 日(木)13:00~14:00 応募を希望する方は、 1 か 2 のいずれかに必ずご参加ください。 (予約不要) 個別相会 2019年12月 11 日(水)~12月 25日(水)30分程度 ▼ 事業の内容等について担当職員が相談に応じます。 (希望者のみ·要予約) 1次選考 書類審査。結果は2020年2月14日(金)までに応募者全員に書面で通知します。 ▼ 2次選考 2020年3月 7 日(士)10:00~ 12:30 ▼ 団体によるプレゼンテーションと、質疑応答 結果通知 2020年3月13日(金)までに2次選考参加者全員に書面で通知します。
お問い合わせ・送付先 〒614-3790 十条市西島2-21 十条市国際交流センター 国際交流事業助成担当電話:0199-61-2257